杣人のBlog

The days of Lake Biwa, Otsu, Daichudo びわ湖・大津 大忠堂

知の巨人たち 「三島由紀夫」

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NHK教育で三島由紀夫の1時間半番組があったのを録画してじっくりと拝見しました。

親交のあった美輪明宏さんや徳岡孝夫さんも出演されていて、虚弱な三島さんが変わっていった過程など興味深い内容でした。

無題

残念だったのは「政治と美について」とことんやり合った石原慎太郎さんの出演が無かったことです。石原氏に楯の会をファルスのマヌカン(喜劇のマネキン人形)だの、おもちゃの兵隊さんだのと断じられたことも蹶起の一つの遠因になっているような気がしてなりません。

とにかく細くて弱かった三島さん。学生時代のあだ名は靑瓢箪で兵役検査も不合格、大蔵省時代は駅のホームから貧血で転落したこともあったそうです。

作家になってから、ボディービルをしたことは有名ですが、他にも安倍譲二にボクシングを習ったり、居合術を学んだりもしておられました。普通スポーツは基礎から何年もかけて、それこそ体が勝手に覚えるような鍛錬を積んでいくものですが、そこを飛び越して結果に直結させようとしているあたりが(大変失礼な言い方ですが)どうも”いびつ”と云うのかある種の不自然さを感じます。

安倍譲二はあるとき「君、失礼だろ!手を抜いてたそうじゃないか」と叱られたそうです。「先生ね、ボクシングで本気で殴られると、鼻水は止まらないし、『らりるれろ』が『だぢづでど』になっちゃいますよ」と応えたら納得したとか、石原さんは、君の頭の上で真剣を止めてみせるからそこに座れと言われ、「不安に思いながらも構えていると、抜いた刀が鴨居に刺さって刃こぼれした。あれがなかったらやられていただろう。あの人は先天的なものか、雑巾を絞るように刀を握れない人だった」と語っていました。

要は、そんなおそろしく”どんくさい”人だったんですね。プロセスを経ずに一足飛びに完成形を求めた三島さんの志向が、楯の会から蹶起にまで走らせてしまったのではないかと、素人ながら勝手な想像をしています。

もし、氏が健全な肉体を持ってスポーツに熱中した経験や、軍隊の経験があれば保守論壇の様相も少しは変わっていたかもしれません。 或は虚弱なまま、もっと文学に耽溺してもそれはそれで良かったかも知れません。いずれにせよ残念な事でした。

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二十一歳の時に買った揮毫。当時、たくさん読んでました。

余談ながら、今上の皇后陛下は三島由紀夫とお見合いをされたことがあるそうです。どちらがお断りになったのかは知りませんが、本当に結婚されなくて良かったですね。

作成者: 森本 喜章

大忠堂代表取締役 滋賀県大津市、琵琶湖のほとりで日々材料を厳選し、真心を込めてお菓子を製造しています。 ご贈答や旅の思い出としても皆様に喜んでいただけるよう、地域に特化した商品作りを心掛けてをります。

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