杣人のBlog

The days of Lake Biwa, Otsu, Daichudo びわ湖・大津 大忠堂


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今年もありがとうございました

2015年も間もなく終わろうとしています。

たくさんの皆様にお世話になった一年でした。ありがとうございました。

来る平成二十八年、2016年、二千六百七十六年もよろしくお願い申し上げます。

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長女の所属する大学の合唱部が毎年クリスマス前後に演奏旅行に出かけ、各地の教会などで唄わせて貰っています。先週、広島県に四泊五日で出掛けてきたのですが、今年はこんな訪問先もあったそうです。ずっしり重いものを感じます。

対照的に長男は土日一泊二日で石垣島に一人旅。peachの格安航空券で往復なんと13000円!沖縄も随分近くなったものです。

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そして私たち夫婦は恒例の第九に。

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びわ湖ホール

三階席の端っこ、あこがれの席が取れました。今年の指揮は沼尻竜典さん。すばらしい演奏でした。あとで聞くと高校の同級生も合唱で参加されていたそうです。来年は娘にも出るように強く勧めています。

来る年もみなさまにとって良き年でありますように!

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東芝がかなりイイ!

hpのラップトップが恐ろしく遅く、メモリの増設もスロットが無くて出来ないので東芝のSatteliteに買い換えました。

CPUは2GHz、メモリは4Gb搭載でしたが、メモリ不足に懲りたので同時にキングストンの8Gbメモリを同時購入しました。

さぁ取り付けよう!と裏返したら、あらら…メモリの蓋がありません(泣)

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ネットで調べてみると「ご自身でのメモリ増設は出来ません。カスタマーサービスにお問い合わせください」

とありましたので電話をすると、引き取り修理で取り付けて下さるとの事でした。他社製部品なのにすみません!

月曜に取りに来てもらって、水曜日にちゃんと届きました。

東芝はアフターサービスが良いとは聞いていましたが、「さすが」です。

とても気持ちの良い対応に、「お客様の立場になって考えてるか?」としばし我が身を省みる一週間になりました。

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皮脂は落として菌は落とさず

数か月前に本で読んだのですが、皮膚の角質層の上には常在菌の層があって、皮膚を守ってくれているのだそうです。

石鹸やシャンプーで洗うと汚れと一緒にその常在菌も流してしまうので控えた方が良いとの事でした。但し、皮脂はしっかり流さないと臭いの原因にもなるので要注意。

では、どうすれば良いのかと云うと、皮脂の多く出る部分、首の回りや耳の後ろ、額など気になる部分には石鹸を使い、あとはお湯だけでしっかり洗い流せば良いのだそうです。

実際実行してみて、家内に頭などを匂いで貰っていますが、嫌な臭いは全くしないとの事で一安心。驚くことに髪の毛がちょっと増えて、一本々々が太くなってきました。朝起きて寝グセがつくようにもなってきました。

また、別の本には健康の秘訣は、食べ過ぎない、飲み過ぎない、洗い過ぎない、ともありました。私の場合は仕事柄、手は日に何度も石鹸で洗わざるを得ませんが、一度お試しになってはいかがですか?

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DF隷書体

以前から弊社のロゴにはダイナフォントの隷書体を使用していたのですが、ここしばらくパソコンにフォントが無く困っていました。

いろいろ調べてみると、「DF隷書体」は一太郎Ver8のバリューパックに入っていたそうです。思い出してみると、昨年四月にサポートが終了してXPの使用を止めてからはウィンドウズのPCにVer8を入れず、新しいバージョンの一太郎を入れていました。 もう不要と思い捨ててしまったことが悔やまれました。

フォントだけを買うと四千円ほどするので悩んでいたところ、ネットオークショVer8とおまけのバリューパックを安くで見つけ、改めてインストールし直しました。

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こちらがDF隷書体の弊社ロゴです。商品共々よろしくお願いします。

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すべからく、独壇場、とんでもございません

最近見つけた誤用をいくつか。

まず先日お亡くなりになった渡辺淳一さん。「男と女 なぜ別れるのか」の中で、「すべからく」を「全て」の意で使っておられました。

「須く」「須らく」は、「べし」や「べきだ」を伴って「当然為すべき事として」「本来ならば」の意味で使われます。

続いて「独壇場(どくだんじょう)」。 「危機」という本の中で志方俊之さんが使っておられますが、この言葉正しくは「独擅場(どくせんじょう)」です。日常でもかなり耳にしますが、この誤用はある時だれかが「擅(せん)」を「壇(だん)」と書き間違えた事から広まったそうです。「独断」という別の言葉が耳に馴染んでいたせいかも知れません。

最近よく読んでいる池波正太郎さんはほぼいつも「とんでもございません」と登場人物に言わせています。

「とんでもない」を「とんでも」と「ない」に分けて、「ない」だけを丁寧にするからだと思うのですが、「とんでもない」で一つの言葉ですから「とんでもないことです」あるいは「とんでもないことでございます」と言うのが正解です。「みっともない」も同じように一つの言葉で、「みっともありません」とか「みっともございません」とは言いませんよね。

立ち上げる」も「立ち上がる」と云う本来一つの言葉を「立ち」と「上がる」に分けて、「上がる」だけを他動詞形に変化させています。パソコンが普及してすっかり耳に馴染んでしまいましたが、「立ち上がらせる」と言うのが正しい使い方です。似た言葉で「起き上がる」も「起き上げる」とは言いません。やはり「起き上がらせる」です。

言葉はこうしてゆっくり変わっていくものです。「輸入、輸出」は本来「しゅにゅう、しゅしゅつ」と読みますが、もうすっかり「ゆにゅう、ゆしゅつ」が定着しているように、もう何十年もしたら「どくせんじょう」と云う言葉は無くなっているかも知れません。祖父の話した言葉と私の言葉は明らかに違います。言葉の変化は出来るだけ遅く。美しい日本語は出来るだけ美しいまま残していきたいものです。

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「やばい」「まじ」「うざい」…汚い言葉は使わない

子育ての話になったら、いつも一番大切なのは「言葉遣い」と答えています。また、それを心がけてきました。

人並み以上の事はしていませんので何も偉そうには言えませんが、考え方、行動、人間関係全ての元になるのは「言葉」だと思っています。

譬えば感情。言葉がなかったら人間には原始的な「喜怒哀楽」しかありません。喜び一つとっても、「歓喜」「悦楽」「愉悦」「狂喜」、「心が躍る」「有頂天」…と色んな種類の喜びがあります。これらはもし語彙がなければ存在しない、理解し得ない感情になってしまいます。ですから一つはボキャブラリーを増やすと云う事。ひとつの事象を的確に言い表せるようになる事が大切です。

それからもう一つは汚い言葉を使わないと云う事。「やばい」は江戸時代の博徒の言葉ですし、「まじ」は遊郭の言葉です。「うざい」は奥多摩地方の方言「うざったい=鬱陶しい」を若者っぽく変化させたたもの。何れも良い言葉とは言えません。ですから子供たちには「もし街でやくざに追いかけられたら、その時は『やばい』を使ってもいいよ」と言っています。笑

ただ、いつの時代も若者は悪い言葉や新しい言葉を使いたがるし、仲間内だけで通じる隠語も多々あるものです。それは誰もが通る道で、それを全部ダメだと言うつもりはありません。ただ、親が繰り返し言い続けているとそれは必ず頭の片隅に残っているはずです。そんな言葉を使う場面になった時に、ちらっと親の顔が脳裏をよぎってくれたらそれでいいと思っています。わが家でも「やば…」までで止めている姿をよく耳にします。

知り合いに、どんな言葉が汚い言葉なのかわからない、と訊かれたことがあります。大雑把に言うと音が汚い言葉は概ねよくないのではないかと思いますが、そんなに厳密に考える必要はありません。口に出す前にどうかな?と一瞬考えるだけで随分変わってくるのではないでしょうか。

「言霊」と言うように、言葉はやはり大きな力を持っていると思います。


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知の巨人たち 「三島由紀夫」

NHK教育で三島由紀夫の1時間半番組があったのを録画してじっくりと拝見しました。

親交のあった美輪明宏さんや徳岡孝夫さんも出演されていて、虚弱な三島さんが変わっていった過程など興味深い内容でした。

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残念だったのは「政治と美について」とことんやり合った石原慎太郎さんの出演が無かったことです。石原氏に楯の会をファルスのマヌカン(喜劇のマネキン人形)だの、おもちゃの兵隊さんだのと断じられたことも蹶起の一つの遠因になっているような気がしてなりません。

とにかく細くて弱かった三島さん。学生時代のあだ名は靑瓢箪で兵役検査も不合格、大蔵省時代は駅のホームから貧血で転落したこともあったそうです。

作家になってから、ボディービルをしたことは有名ですが、他にも安倍譲二にボクシングを習ったり、居合術を学んだりもしておられました。普通スポーツは基礎から何年もかけて、それこそ体が勝手に覚えるような鍛錬を積んでいくものですが、そこを飛び越して結果に直結させようとしているあたりが(大変失礼な言い方ですが)どうも”いびつ”と云うのかある種の不自然さを感じます。

安倍譲二はあるとき「君、失礼だろ!手を抜いてたそうじゃないか」と叱られたそうです。「先生ね、ボクシングで本気で殴られると、鼻水は止まらないし、『らりるれろ』が『だぢづでど』になっちゃいますよ」と応えたら納得したとか、石原さんは、君の頭の上で真剣を止めてみせるからそこに座れと言われ、「不安に思いながらも構えていると、抜いた刀が鴨居に刺さって刃こぼれした。あれがなかったらやられていただろう。あの人は先天的なものか、雑巾を絞るように刀を握れない人だった」と語っていました。

要は、そんなおそろしく”どんくさい”人だったんですね。プロセスを経ずに一足飛びに完成形を求めた三島さんの志向が、楯の会から蹶起にまで走らせてしまったのではないかと、素人ながら勝手な想像をしています。

もし、氏が健全な肉体を持ってスポーツに熱中した経験や、軍隊の経験があれば保守論壇の様相も少しは変わっていたかもしれません。 或は虚弱なまま、もっと文学に耽溺してもそれはそれで良かったかも知れません。いずれにせよ残念な事でした。

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二十一歳の時に買った揮毫。当時、たくさん読んでました。

余談ながら、今上の皇后陛下は三島由紀夫とお見合いをされたことがあるそうです。どちらがお断りになったのかは知りませんが、本当に結婚されなくて良かったですね。