杣人のBlog

The days of Lake Biwa, Otsu, Daichudo びわ湖・大津 大忠堂


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お伊勢さん菓子博

お菓子の業界が四年に一度開いている全国菓子大博覧会。今回は伊勢での開催です。

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二見が浦の近く、伊勢サンアリーナが会場です。

大津菓子組合のみなさんと一緒に見学してきました。

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会員のお菓子が都道府県別に展示されています。弊社は源氏物語羊羹「帚木帖」を出品致しました。

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このあと、外宮、内宮とお参りさせて頂きました。

神宮はいつも厳かで清らか、なんとも言えない静謐な空気が漂っています。今回は新緑の萌える匂いに新しい生命の息吹を感じてきました。

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内宮(皇大神宮)正宮

伊勢神宮と云うのは通称で、「神宮」が正式な名称です。また、内宮と外宮が有名ですが、別宮、摂社、末社、所管社を含めた、百二十五社宮を合わせて「神宮」と呼ぶのだそうです。

二千年以上も続く神宮、日本人が長年国の平和を願ってきた思いが伝わって来ます。二千年先も同じ姿で鎮座ましまして下さるよう祈念しております。

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途中、神宮徴古館を見学しました。こちらには式年遷宮で「撤下」された御装束神宝などが展示された美術館。荘厳な雰囲気でした。

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赤福本店はいつも大繁盛です。赤福餅二つとお茶を頂いて一人二百十円。

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帰りは近鉄特急しまかぜで京都駅まで。ゆったりした本革シートでゴージャスで快適な旅でした。車中で渡部昇一さんの「知的生活の方法」を読了しました。至福の時間でした。

いろいろ見学してきた事を日々の業務に活かしていきたい、と思いを新たにしています。

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すべからく、独壇場、とんでもございません

最近見つけた誤用をいくつか。

まず先日お亡くなりになった渡辺淳一さん。「男と女 なぜ別れるのか」の中で、「すべからく」を「全て」の意で使っておられました。

「須く」「須らく」は、「べし」や「べきだ」を伴って「当然為すべき事として」「本来ならば」の意味で使われます。

続いて「独壇場(どくだんじょう)」。 「危機」という本の中で志方俊之さんが使っておられますが、この言葉正しくは「独擅場(どくせんじょう)」です。日常でもかなり耳にしますが、この誤用はある時だれかが「擅(せん)」を「壇(だん)」と書き間違えた事から広まったそうです。「独断」という別の言葉が耳に馴染んでいたせいかも知れません。

最近よく読んでいる池波正太郎さんはほぼいつも「とんでもございません」と登場人物に言わせています。

「とんでもない」を「とんでも」と「ない」に分けて、「ない」だけを丁寧にするからだと思うのですが、「とんでもない」で一つの言葉ですから「とんでもないことです」あるいは「とんでもないことでございます」と言うのが正解です。「みっともない」も同じように一つの言葉で、「みっともありません」とか「みっともございません」とは言いませんよね。

立ち上げる」も「立ち上がる」と云う本来一つの言葉を「立ち」と「上がる」に分けて、「上がる」だけを他動詞形に変化させています。パソコンが普及してすっかり耳に馴染んでしまいましたが、「立ち上がらせる」と言うのが正しい使い方です。似た言葉で「起き上がる」も「起き上げる」とは言いません。やはり「起き上がらせる」です。

言葉はこうしてゆっくり変わっていくものです。「輸入、輸出」は本来「しゅにゅう、しゅしゅつ」と読みますが、もうすっかり「ゆにゅう、ゆしゅつ」が定着しているように、もう何十年もしたら「どくせんじょう」と云う言葉は無くなっているかも知れません。祖父の話した言葉と私の言葉は明らかに違います。言葉の変化は出来るだけ遅く。美しい日本語は出来るだけ美しいまま残していきたいものです。

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知の巨人たち 「三島由紀夫」

NHK教育で三島由紀夫の1時間半番組があったのを録画してじっくりと拝見しました。

親交のあった美輪明宏さんや徳岡孝夫さんも出演されていて、虚弱な三島さんが変わっていった過程など興味深い内容でした。

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残念だったのは「政治と美について」とことんやり合った石原慎太郎さんの出演が無かったことです。石原氏に楯の会をファルスのマヌカン(喜劇のマネキン人形)だの、おもちゃの兵隊さんだのと断じられたことも蹶起の一つの遠因になっているような気がしてなりません。

とにかく細くて弱かった三島さん。学生時代のあだ名は靑瓢箪で兵役検査も不合格、大蔵省時代は駅のホームから貧血で転落したこともあったそうです。

作家になってから、ボディービルをしたことは有名ですが、他にも安倍譲二にボクシングを習ったり、居合術を学んだりもしておられました。普通スポーツは基礎から何年もかけて、それこそ体が勝手に覚えるような鍛錬を積んでいくものですが、そこを飛び越して結果に直結させようとしているあたりが(大変失礼な言い方ですが)どうも”いびつ”と云うのかある種の不自然さを感じます。

安倍譲二はあるとき「君、失礼だろ!手を抜いてたそうじゃないか」と叱られたそうです。「先生ね、ボクシングで本気で殴られると、鼻水は止まらないし、『らりるれろ』が『だぢづでど』になっちゃいますよ」と応えたら納得したとか、石原さんは、君の頭の上で真剣を止めてみせるからそこに座れと言われ、「不安に思いながらも構えていると、抜いた刀が鴨居に刺さって刃こぼれした。あれがなかったらやられていただろう。あの人は先天的なものか、雑巾を絞るように刀を握れない人だった」と語っていました。

要は、そんなおそろしく”どんくさい”人だったんですね。プロセスを経ずに一足飛びに完成形を求めた三島さんの志向が、楯の会から蹶起にまで走らせてしまったのではないかと、素人ながら勝手な想像をしています。

もし、氏が健全な肉体を持ってスポーツに熱中した経験や、軍隊の経験があれば保守論壇の様相も少しは変わっていたかもしれません。 或は虚弱なまま、もっと文学に耽溺してもそれはそれで良かったかも知れません。いずれにせよ残念な事でした。

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二十一歳の時に買った揮毫。当時、たくさん読んでました。

余談ながら、今上の皇后陛下は三島由紀夫とお見合いをされたことがあるそうです。どちらがお断りになったのかは知りませんが、本当に結婚されなくて良かったですね。


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人斬り半次郎

寝食を忘れるほどおもしろい本に出合えるのは季節に一度あるかないかですが、

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後の陸軍少将、桐野利秋の前半生を描いた幕末編にすっかり魅了されてしまいました。

嘗て司馬遼太郎は著書のなかで、床を背に座ると颯爽とした一陣の風が吹き抜けるような人物だったと評していました。なかなか主人公になる事は少ない人ですが、その司馬先生の評の通り、まっつぐで純粋、私心が無く、示現流の剣はおそろしく強い、まさに好漢愛すべしといった人物です。西郷さんも宮様も側から離さなかったのが分かるような気がします。

このあとは「賊将編」気の毒に、西郷さんの下野から西南戦争までの後半生は週末にじっくり読みたいと思います。


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今年のランキング

いよいよ押し詰まってまいりました。

大体の仕事は片づけ、大掃除も済ませました。今年も一年間ありがとうございました。

今年間読んで印象に残っている本を振り返ってみました。

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一位は一月にお亡くなりになった小野田さんの回想録。三十年間の孤独な戦いを鮮明に著述しておられます。偉大な日本人の記録です。
二位は阿川弘之さんの軍艦長門の生涯。長門を中心とした壮大かつ詳細な大正、昭和史でした。

三位は代表して「花も刀も」を挙げていますが山本周五郎さん全般です。今年は周五郎さんを読んで他を読み、また周五郎さんに戻る事の繰り返しでした。何年経っても良いものは良いんですね。あともう少し楽しませて頂きます。

新作はひとつもなく、どれも古い本ばかりで恐縮ですが、もし何かの機会に手に取って頂ければ幸甚です。

さてさて、自治会の夜警も今日が最終日。拍子木を打って「火の用心」に町内を回ります。

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ご愛読いただいている皆様にはどうか健やかで佳き年をお迎えください。

来る二十七年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

大忠堂 森本 拝


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武士道と騎士道

良い本に出合いました。5152QHT7B6L 1942年スラバヤ沖海戦で撃沈された英米蘭連合国艦隊十一隻のうち英巡洋艦「エクゼター」、英駆逐艦「エンカウンター」二隻の乗組員四百数十名が漂流していたところを翌日偶然通りかかかった帝国海軍駆逐艦「いかづち」に発見された。
 
 機銃掃射を受けていよいよ最期かと覚悟していたが、「いかづち」は即座に救助活動中の信号旗を掲げ漂流者全員を救助した。潜水艦攻撃に狙われながら丸一日の救助活動の後、艦長は士官全員を甲板に集めて健闘を称え「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」と英語でスピーチし、乗組員の倍以上の敵将兵を友軍のように丁重に扱ってくれた。と話す元海軍中尉サムエル・フォール卿、英外交官。
 
 「貴重な水と食料を彼らに与えると順番に回して余った分はちゃんと返してきた」とイギリス人のモラルの高さに感心したと証言する日本兵。
 
まさに武士道と騎士道。戦争を賛美するわけではありませんが、胸のすくような話でした。
こういう日本人の美しい側面こそ、いろいろな機会に伝えていって頂きたいものです。


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宮沢賢治

宮沢賢治の本があったら貸してほしい、と娘に頼まれました。

嬉しい事を言ってくれます。「あるある!」とお気に入りの一冊を本棚から出してきました。

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そんなに広い知識がある訳ではありませんが、賢治さんはおそらく最高の作家だと思っています。

まるで、彼の頭の中にある言葉が飛び散って宇宙まで行って地上に降り注いできたような、そんな輝きを感じます。

昔、青年会議所の全国大会で盛岡に行ったとき、司会が高橋 圭三さんでした。式典を抜け出し、近くの喫茶店でお茶を飲んでいたら、偶然式典を終えた高橋さんと同席しました。

賢治さんが盛岡農林学校に勤めていた時代に、きっと自分の家の前を通っておられた筈だ。とおっしゃっていました。もちろん賢治さんは当時無名だし、面識もありませんが子供の頃の自分は何度かすれ違っていたに違いない。と確信を持っておられました。

イメージではもっと大昔の人なのですが、案外近いところにおられたんですね。

娘は十二月にあるコーラス部の定期演奏会で賢治さんの詩を唄うのだそうです。心待ちにしています。

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